なぜ、ビジネスの世界で横暴な管理職が続出するのか?

ビジネスの世界で、パワハラが横行している。

全国都道府県の労働局に設置されている「総合労働相談コーナー」に寄せられる民事上の個別労働紛争の相談のうち、パワハラを含む「いじめ・嫌がらせ」に関する相談件数は、平成24年度から6年連続でトップになり、平成29年度には7万件あまりに達している。ここ10年あまり「労働条件の引き下げ」や「退職勧奨」など他の項目が横ばいや減少に転じている中で、ただひとつパワハラだけが右肩上がりで増加し続けているのである。


なぜ、ビジネスの世界では、部下へのリスペクト(敬意)を欠いた横暴な管理職が続出するのだろうか?

その答えは、管理職が仕事をしているのではなく、部下が仕事をしているからである。自分で仕事をしていないから、仕事の進捗について部下から報告を受けないと、上位上長ほかの関係者に語れるものがなく、自らの存在価値がなくなってしまうので、部下をフォローせざるを得ない。社長や会長にしても同じことである。株主や一般市民などの社外ステークホールダ―に対して会社を代表して説明する際に、必要な情報のほとんどは部下の報告から得るしかないからだ。自分にとって都合の良いタイミングで、都合の良い情報がもたらされないと自分の立場が危うくなるとの保身の気持ちが働けば、容赦なく部下を責め立てることになる。

ここで、「労働」に関する法的解釈につき確認をしておく。
まず、労働契約とは、「使用者に、使用されて、労働する」契約のことをいう。 労働契約法第六条は、「労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて労働者及び使用者が合意することによって成立する。」と規定している。

「労働時間」とは、「使用者の指揮命令下に置かれている」時間のことである。

労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの)三二条の労働時間(以下「労働基準法上の労働時間」という。)とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではないと解するのが相当である。」(平一二・三・九最高裁第一小判決、三菱重工業長崎造船所事件)

「指揮命令下」に置かれている時間と言えるためには、原則として、次の5項目の拘束(指示命令)を使用者から受けることが必要とされる。
①場所的な拘束下にあること
②時間的な拘束下にあること
③態度ないし行動上の拘束下にあること(どのような態度、秩序、規律等を守って行うか)
④業務の内容ないし遂行方法上の拘束下にあること
労務指揮権に基づく支配ないし監督的な拘束下にあること
(以上、「採用から退職までの法律知識(十四訂)」弁護士 安西愈 中央経済社 を参考にまとめた)

要するに、上司の「指揮命令下」にあるというのは、そのような窮屈な状態のことを指し、これに背いて働くと、賃金の対象となる「労働時間」から外されたり、就業規則の懲戒規程により罰せられことにもなりかねない。
これだけの縛りの中で上司の指揮に従って仕事をすることが、(意識しようがしまいが)労働法で要求されていることから、ときに理不尽な指示があっても、部下は上司に従う。
これに慣れてしまうと、「部下は上司(自分)の言うことには何でも従うものだ。自分は偉いのだから、部下は従って当然!」という勘違いをする管理職が出てくる。
残念ながら、今後も出てくるだろう。このように考えるか否かは、人間性や人格に深く関わるからである。

だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです                          ルカ 18: 14