新「会社人間」主義ー男のアイデンティティ

今まで、日本の企業社会は主として男によって運営されてきたと言ってよいだろう。女性蔑視の企業社会と言われながらも、日本の経済はとにかく世界史の奇跡とも言うべき成長をしてきた。まず、この事実をどう考えたら良いのだろう?
「食い扶持は男が稼いでくるもの」という固定観念の下で、とにかくがむしゃらに「男」が頑張ってきた結果なのであろうか?
今までは、働いて稼いでくることが「男のアイデンティティ」であった。賃金も、資格制度などで理屈をつけながら、男に手厚い配分をしてきた。能力が多少足りなくても、「男」であることで、「稼ぐ」という役割を与えられ、企業もそれに応える仕組みを維持してきたのである。

「これからは、少子化も進み労働力人口が減るので、高齢者と女性(並列に書かれるのが一般的である)の活用(まるで物を扱うみたいな言い方だ!)が急務である!」と声高に言われる。しかし、少子化が進まなくとも、能力のある女性に男性と同じチャンスが与えられるのが理想の形であり、まともな社会である。

もっとも、社会の安定・発展にとっては、良いことばかりでもない。
優秀な女性は、ますます企業社会にどっぷりつかり仕事に邁進する。多分結婚も遅くなるだろう。結婚してからも働くから、嫌になればすぐに離婚する(経済的裏付けがあればたやすく離婚してしまうという風景は、芸能人や米国社会に見ることができる)。
一方、女性という新しい競争相手を迎えた男性陣の中には能力が足りずに脱落していく者が増える。「働くことが男のアイディンティティ」と言えなくなってくる。落伍者のレッテルを貼られた彼らは、良いお婿さん候補のリストからもはずれていく。
今まで、男性に手厚く配分されていた賃金が、女性に流れるようになり、結果として、男の賃金水準は下がっていく。結婚しても、共働きしなければ食べていけなくないようになっていく(97年国税庁調査によれば、年収800万円を超える給与所得者は、男性では全体の17.9%なのに対して、女性は1.8%に留まっている。女性が定年前に職業生活からリタイアしないで、第一線で頑張り続ければ、高級取りの比率は上がる。一方、男性のそれは、下がっていかざるを得ないだろう。会社の財布はひとつだからである)。

かくして、結婚や出産を促進する環境は益々悪化し、日本は高齢化社会へのアクセルを強く踏み込んでいくことになる。
(新「会社人間」主義ー私の考える「ホワイトカラー」 1999年1月 より)

18年前に書いた通りの道を日本は歩んでいるようである。

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(写真は、Sweden Gothenburgの町の風景)