学校というところー期待する答えを出すためだけの場所か?

出身高校は国立大学の付属校で、毎年、東大に100人前後合格していた。町工場がメインの板橋区の公立中学校から入学した者にとっては、良家の子女ばかりで秀才揃いのクラスメートとの交わりは、楽しいものとは言えなかった。

1年生の時の国語の先生は20代の熱血漢。生徒を5人程度のグループに分け、本を選ばせ発表させるという授業があった。読書好きでもないのに、他のメンバーが勝手に選んだ、I.H.という流行作家の文庫本を読まされ、読後感想の発表者にされてしまった。

嫌々読んだが全く面白くなかったので、どうやって感想をまとめるかに悩み、図書館で借りてきた本の末尾の書評を丸写しして発表したら、先生に「それは、君の意見なのか? もう一回やり直しだ!」と言われ、私だけが再度、読書感想の発表をやることになってしまった。
クラスメートの前で恥をかかされ、やりきれない気持ちになったが、何度読んでも、この本についての前向きな感想は湧いてこなかった。

仕方がないので、もう一度図書館に行き、別の書評を探し、加工して
発表した。

この経験で学んだことは、「自分の意見を持たねばならない」ということだったが、今、思い返すと、なぜあの時、「この本を読んだが、つまらなかったので、感想はありません!」と本当のことを言えなかったのだろうと思う。

それは、明らかに先生や学校の期待している答えではないだろうし、そんな風に言ったら、成績は×になったであろう。

だが、そもそも、読みたくもない本を押しつけられて感想を言わされるなどという精神的苦痛を与えておきながら、言いたいことも言えない・・・学校というのは所詮そういうところなのだろうかと、今でも、思っている。

自分がやりたいことのきっかけや素材を色々な形で提供してくれるのが学校の使命だと思うが、自分の意欲に火をつけるものは、自分で見つけるしかない。

長く居るところではないと思っている。

大学時代もほとんど勉強せず、バンド活動だけはたらたらとやっていたが、4年で卒業したことだけは良かったと思っている。

企業の中で働く者を見ても、学校時代が楽しかったという輩には何となく胡散臭いものを感じる。飼いならされて、期待する答えだけを繰り返す環境が楽しいなどとは到底思えないが、慣れてしまうと楽なのかもしれない。
だが、こんな人間ばかりいたら、会社は潰れる。

そういう危機に瀕している会社が日本には多いのではなかろうか。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't betrapped by dogma-which is living with the results of other people's thinking.Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition.

Stay Hungry. Stay Foolish.

Steve Jobs