定年後の心象風景(その2)

前回に続いてのブログである。

定年後の世界に怯えるのは、(男は仕事、女は家庭という)古風な考え方をする日本男児に多いかもしれない。

そもそも、家族や身近な共同体を離れて、縁もゆかりもない人達と「会社」という組織で(無理やり)働かされる形態は、産業革命以後200年の歴史しかない。それまでは、家族を基本組織とし、助け合いながら、農業や家内工業に従事していたものと思われる。

賃金を得る契約により、「会社」という組織に何十年もの時間と労力を奪われた後、ようやく「家族」のもとに帰還できたと思ったら、家庭に「お父さん」の居場所はなくなっており、「粗大ごみ」として邪見に扱われる。家庭という共同体の中で家族の目に見える形で応分の役割を果たしてこなかったツケである・・・会社でいくら苦労しているとしても、家族には見えない世界の出来事である・・・だから、定年になる前に、家事くらいは覚えて仕事以外の形で家族の共同生活に参画できるようにしておかなければならない、あるいは、自分なりの趣味を持ち、残された時間をエンジョイできるようにしておかなければならない・・・「定年後」を冠したノウハウ本の骨子はつまるところ、このようなものではないかと、推測している。

もう随分前から、週末に、家族と時間を過ごしていると、こちらの方が自分の本拠地ではないかと感じていた。週明けの月曜日、音を立てずに一人だけの朝食を済ませ、家内と子供達の寝顔に別れを告げ、「これからまた、会社という異世界に出稼ぎに行ってくる」という気持ちで日々を送るうちに「定年」になってしまった。

だが、帰還するには少々早い・・・次の出稼ぎ先を探さねばならない。