定年後の心象風景(その3)

前々回からの続きのブログである。

家族に働く姿を見せないで、会社に囲われ続けて時を過ごしても、家族からさほど評価されることはない・・・という趣旨のことを前回は書いた。幸い、筆者が子供の頃の父は家から歩いて3分の零細建材店で働いていたので、その働く姿を垣間見ることはできた(当時は家風呂がなかったので、夕方になると父のところに行き、社長夫人のおばちゃんに新聞紙でくるんだ駄菓子をもらっては、会社の風呂に一緒に入ったものである)。

今回のテーマは、「働く」ために、どれほどの労力と時間をかけるべきかということである。今話題の「働き方改革」にも通じることだ。

11日付入社の、筆者より二回り近くも若い女性の後任者に人事総務業務の引継ぎをしている。コンサルティング会社で職業生活を始めたが、途中から人事をやりたくなってコンサルタントから転身したとの(綺麗な)説明を聞いた。もう少し仔細に聞くと、駆け出しコンサル時代は、朝5時まで会社で働き、シャワーを浴びに家に戻っては9時に出社するというクレイジーな生活を繰り返していたようだ。恐らく、体を壊したのであろう。長年の趣味がヨガだというのもうなずける話である。

だが、このような異常な生活をしてまで人々に届ける価値のある仕事が、世の中にどれほどあるというのだろうか?(人の命を預かる医療関係者など、やむを得ず、ときとしてそうなる場合があるのを除けばの話である)

古代イスラエル3代目の王にして、その知恵と国土の繁栄により、当時の世界に名声を轟かせたソロモンでさえ、以下のように嘆息している。

「・・・しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。・・・」
伝道者の書 2:11

「やるだけ無駄な仕事」、が沢山あるとは思わないが、時間と労力をかけるにしてもバランスが重要だということを言いたい。この世で人間が行うことの多くは、他の誰かにもできることだし、過去に誰かがやったことである。だから、家族や知人・友人との大切な時間を犠牲にしてまで頑張り過ぎないことである。

お年寄りの原宿と言われる、「巣鴨とげぬき地蔵通り」に、家族とよく散策をする。高岩寺とげぬき地蔵)を中心に、煎餅屋や饅頭屋ほかのレトロな店や露店が並ぶ楽しい通りであるが、18時頃になるとほとんどの店は閉まってしまう。初めて見た時は少し驚いたが、いやいや、これが自然な姿だと気づくようになった。夜明けとともに活動を始め、日暮れとともに休息する・・・これこそが数百年続く人間の営みの形であろう。

「過労死」などというものが、人類の発展の歴史のゴールであって良いはずがない。
働くことが好きだと思っている人は、「定年」になって「会社」という器から切り離されたときの自分を想像しながら、これからの生活設計を修正していった方が良い。
「私は頑張っている」と思いこんで、惰性で長時間労働をしている間に「定年」は来てしまうからである。


「・・・そう遠くまで来たわけじゃないが、おれは身を粉にして働いてきた。おれもきみと同様、勤労そのものを信じているわけじゃないーただ働くように訓練されているだけの話だ。・・・」
「南回帰線」ヘンリーミラー (マグレガーの言葉)