新会社人間主義ー始発電車と終身雇用制

郊外から都心まで電車通勤をする場合、いずれにしても混んではいるのだが少しでも自分の位置を確保しようとするなら、始発電車に乗る手がある。始発電車に乗り込む人は、その駅から乗る人だけだから、最初の間だけでも多少は空いているし、うまくいけば座れることもある。悪くても、吊革につかまる位置くらいは確保できる。しかし、早朝の始発電車に乗る人は都心に通うサラリーマンがほとんどだから、乗ったら最後席を立つ人はまずいない。皆、都心に着くまで同じ位置に立ったまま、あるいは座ったままの状態で護送されていく。変化はない。
 始発以外の電車に乗ると、最初は混んでいるかもしれないが、客の乗り降りが頻繁で座席もたびたび空く。学生や子連れの婦人も乗ってくる。色々と変化がある。

終身雇用制は、始発電車に争って乗り込んでいく風景に似てはいまいか。
自分の座席を確保する為に早くから駅に行って行列に並ぶ努力は、一生の会社と決めて入念に下調べをした上で会社訪問をするのに似ている。

乗ったら最後、多少混雑して気分が悪くても、とにかく目的地まで一緒に行ってしまうのは、定年まで勤めあげる日本的雇用慣行に似ている。

どちらも、将来がある程度予測できる分、安心ではあるが、変化や刺激に乏しく面白みがないという点で共通している。

(1999年1月作成 新「会社人間」主義ー私の考える「ホワイトカラー」- より)

始発電車を降りて、外資系に乗り換えてしまった今、上記の文を見ると書いた時の気分がよみがえってきて懐かしい。因みに筆者は、日本的雇用慣行が悪いと言っているわけではなく、その中でどう働くかがポイントだと思っている。

(イラスト作成:漫画家「霧」 無断転載厳禁)
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