新会社人間主義ー躓きと出直し

「・・・奴隷のように働いていた。私は、はたして自己をとりもどすことができるのだろうか。いや、できそうもない。私は憐むべき落伍者なのだ。なにもかもうしなってしまったような気がした。はっきり言って、私はもはや人間ではなかった。動物に近かった。・・・私には、もはや、なんの思想も夢も欲求もなかった。体はすこぶる健康なのだが、頭はからっぽであった。・・・もう少し太陽の光にあてられたら腐ってしまうかもしれない。熟する前に腐ってしまうのだ。 ヘンリー・ミラー 南回帰線」

会社生活に入って暫くした後、どうしようもなく悶々とした気分になったことはないだろうか? もしそうなったら、このまま妥協して行くべきか、進路を変えるべきかを真剣に悩むべきである。赤提灯の下で、会社や上司の悪口だけを言っていても始まらない。
 どこにあっても、自分自身を失うことのないようにしたい。毎日、ただ漫然と働かされているような気分になったり、周囲の人が、考え方や行動様式の点で自分と全く違う人種に見えたりし始めたら要注意である。
 自分の人生を早々に結論づけることはない。しまったと思ったら、早く出直したほうが良い。
 私の場合、最初に内定をもらった会社で、1年上の同窓の先輩十数名が開いてくれた歓迎会に出たのだが、たった1年でこんなにもサラリーマンらしくなってしまうのかと思わせるほど、皆一様に疲れた表情をしていることが衝撃であった。
 長髪が当たり前の学生時代とは違って、お揃いで後ろにバリカンを入れているのは分かるとしても、どことなく、皆の人相が似てきているのを発見して恐ろしくなった(俺も1年後はああなってしまうのか!?)
顔にはこう書いてあった。『僕らは、会社に飼われているんだ。お前らだってもうすぐ学生時代のような気楽な生活はできなくなるんだぞ!』

日本経済が転換期を迎え、いわゆる日本的雇用慣行も随分と修正されてきた。「労働力移動の円滑化」が必要だなどと、政府や経営側が主張するご時世になってきた(私が18年前に会社を辞め、再就職活動をした頃は、「甘い!甘い!」と行く先々の会社で散々説教されたものだ。)
 そんな時代にあっても、ある程度長く勤めてから辞めると失うものは多い(長年、苦楽を共にした同僚や先輩と別れるときには、きっと後ろ髪を引かれるはずである)。
だから、ミスマッチに気づいたら、なるべく早く辞めて出直したほうが良い。

(新「会社人間主義」-私の考える「ホワイトカラー」- 1999年1月 より)

若い時に限らず、いくつになっても、自分自身を失ってしまうような環境や人間と一緒に働きつづけることはすべきではない、と思う。
この世に生きている限り、出直しをするのに遅すぎるということはない。

人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。 1コリント7:7

(イラスト作成:霧、無断転載を禁ず)

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