採用雑感(4)-紹介面接でも内定辞退

初めて、採用担当として仕事をしたのはバブル景気と同じ1986年から1991年にかけてであった。今も人事責任者として毎日のように採用面接をする中で、色々なサプライズに遭遇してはいるが、会社の窓口として慣れない説明をして良い人材を確保しようと悪戦苦闘したあの頃の思い出に勝るものはない。

当時の5年間は、毎年100人から130人ほどの大学卒を採用したが、会社説明会や面接でその10倍以上の学生に接しているから、少なくとも5000人以上には会ったことになる。前職には30年以上勤めていたので、採用面接の際に「この学生は大物になる」と確信を持って採用した人材がその後どうなったのかを否応なしにトレースすることになる。順調に成長し活躍している人材がいれば、うまく行かずに途中でドロップアウトしてしまった者もいる。数十年にわたり自分のパフォーマンスについての通信簿を見せられているようで、ある意味、とても恐ろしい。

バブル期だから仕方ないのかもしれないが、幹部の繋がりで紹介され面接したにもかかわらず辞退されるケースがときたまあった。因みに、幹部の紹介だからと無条件で採用するわけではなく、きちんと面接を行い、良ければ採用するというスタンスを貫いていた。

当時の社長は、社会人になってから博士号を取った優秀な技術者であった。部下の面倒見の良い人格者で、出身大学(旧帝大)の同窓会の会長に推されたほどの人物であった。社長が第二次大戦末期に海兵(幼年学校)に入隊していたときの絆から息子を紹介してきた人がおり、こちらもそれなりの構えで面接を行い、応募者も優秀な人物だったので内定を出したが、辞退された。当時、人気絶頂だったT電機メーカーに行ったそうである。

考えてみれば、いい歳をした息子の就職に親が口を出すこと自体が間違っている。
元々、親の思いと本人の考えにずれがあったというはよくある話で、あるいは、(親子の暗黙の了解で)わが社が滑り止めに使われたのかもしれない。

いずれにせよ、バブル期の採用活動には、採用側と応募側の気持ちの探り合いや騙しあい的な要素があったことは否めない。そのせいか、5年目になった頃には、かなりくたびれていた記憶がある。


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