新「会社人間」主義ー人事処遇における「予測可能性」

これからの日本の人事処遇制度で最も考慮すべきポイントのひとつは、処遇における予測可能性をどの程度まで低くしていくかということである。ありすぎるとモラールダウンになる。なさすぎると恐怖政治になり、いつもびくびくして上の顔色を窺いながら、他人を出し抜くことばかり考えるようになる。一般に年功制の下では、企業内における自分の将来像について予測可能なことが多すぎるのではなかろうか?

例えば、入社して〇〇年経たなければ課長にはなれない、逆に、遅くとも△△年経てばせめて課長くらいにはなれる。一度エースと定めた社員には(よほどのヘマをしない限り)出世街道をずうっと走らせる・・・などという運用例は、伝統的な会社ではまだまだ多いように思う。しかし、これでは本人は手を抜くし、周りの者はやる気をなくしてしまう。社内での昇進レースでの入れ替え戦(リターンマッチ)をもっと厳しくやることが必要である。

社内でロイヤルゼリーのように大事に育て、外の厳しい競争環境に身をさらすこともさせずに神輿に乗せてしまうと、何ともひ弱なエリートになってしまう。本人にとっても周囲にとっても、会社にとっても、このようなエリート育成方法には問題が多い。
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(新「会社人間」主義ー私の考える「ホワイトカラー」 1999年1月 より)

さすがに最近は、このように硬直的かつ牧歌的な年功制人事を続ける日本の大企業は少なくなってきているとは思うが、ゼロではないだろう。これと正反対に、外資系の中小企業では、明日何が起きるか予測ができないほど変化が速い(朝出勤したら、会社売却のニュースを聞かされてびっくりなどということもある)。心を落ち着けて職務に精励しにくい面がある。要するに、「予測可能性」のバランスをどの程度取っていくかがポイントだろうと思う。

日本の会社の予測可能性を低くする仕組みとして「人事異動」があるが、参考になる解説を見つけたので引用する。

・・・異動は会社権限に基づき従業員と職務を結びつける仕組みであり、ある職務から別の職務へ移るヨコの異動と、昇進を伴うタテの異動がある。日本企業の総合職の場合、異動の主たる目的は、人材の需給調整、新規の職務経験を通した人材育成、およびマンネリ防止である。マンネリに陥るのは職務に寿命(job longevity)があるからである・・・(転勤に関する雇用管理 神戸大学大学院経営学科教授 平野光俊、月刊社労士2017年7月号より)

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