新「会社人間」主義ー評価誤差

人が人を評価する際に、公平に偏りなくするというのはかなり難しいことである。評価者が陥りやすいパターン例として以下のものがある。
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評価の結果は、報酬や処遇の形になって本人に戻ってくるから、公平性や納得性を確保する為に、客観的であろうとすることは大事なことだ。

しかし、一緒に仕事をする上では、相性の良し悪しがチームの成果に大きな影響を与えることは多い。評価についても、個人的感情や思い入れを完全に排除して一律機械的に行うことは、実は難しいことであり、また、多少はやむを得ない面もあると思われる。相性の良い者を部下に選んで、彼が仕事上の成果を上げてくれるならばそれに越したことはないし、その時は堂々と高い評価を下して良いのである。

成果も出していないのに、気の合う部下であるというだけで甘い評価を下すことができないのは当然である。これでは周囲から情実人事との批判を浴びることとなる。
(新「会社人間」主義ー私の考えるホワイトカラー 1999年1月 より)

お友達内閣と言われた某国の政権や、海の向こうの大統領側近のあまりに頻繁な入れ替えを見ていると、人事を決定する際に、実力と相性のどちらを優先するかでその後の運営の良し悪しが左右されているようにも思う。


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