ビジネスコミュニケーションとしての英語に関する誤解

多くの日本人には、ビジネスコミュニケーションとしての英語に関する誤解があるようである。外資系企業で働き、採用面接などを通じて感じたことを2-3、指摘しておく。

1.ビジネススキルの涵養がまず為すべきことである:
採用面接をしていると、海外の大学を卒業した人や、会社勤めを始めてから英語の必要性を感じて会社を辞め、英語圏の国へ語学留学した人によく出会う。彼らの英語レベルはTOEICで800~900点超のことが多いが、前職での年収を尋ねると、英語ができることのプレミアムを享受できていないケースが多いことに驚かされる。多額の金と時間を投資した効果が得られているとは思いにくい。
理由は簡単で、彼らには核となるビジネススキルが身についていないからだ。日本の労働市場は、ビジネススキルがないのに英語だけできる人を高額の報酬で受け入れる環境にはなっていないと思う(もちろん、例外はあると思うが)。

2.日本語で正しいコミュニケーションができることが前提である:
英語はうまくて、外国人のカウンターパートには受けが良いが、日本人同士のコミュニケーションがさっぱりできない人を見かける。5WIHに基づいた正しい日本語が書けず、話せないからだ。日本語はハイコンテクストの文化だと言われるが、ビジネスの世界ではそうでもない。そんなことをしていたらグローバル競争に負けてしまうから、ビジネスの現場では論理的に数字を基本にコミュニケーションしている。
ところが、英語が流暢だとされている帰国子女等が日本語で話す場合は、言葉少なに「阿吽の呼吸」で伝えようとしたりする。外国人は、英語の話せる日本人が少ないから「〇〇は優秀だ」と、ハロー効果の典型のような評価をする。

3.どのレベルを目標にするのか?:
夢と希望に燃えてこれから英語を勉強しようとする人には申し訳ないが、後天的に語学を学ぶ人が、ネイティブと同じレベルを目指すことは諦めた方が良い。筆者は海外駐在経験なしにTOEIC920点を取ったが、聞き取り能力がネイティブレベルに近づいているとは全然思えないし、これからも無理だと思う。幼少期から10歳過ぎくらいの間に英語圏で生活しない限り難しい。
もっとも、プロの通訳や翻訳家になろうとするなら話は別で、900点は入口に過ぎないし、そもそもTOEIC自体が評価基準になりえない。

若い頃は、ネイティブのように発音したいと思って恰好をつけようとしたが、時間の無駄であることにやがて気づいた。英語はコミュニケーションツールであり、発音の美しさを競うことがゴールではないからだ。場数を踏むと、非英語圏の外国人の英語もそれほど大したことはないと分かる。一般論だが、フランス人の英語は母国語のアクセントが強すぎて聞きづらい。ドイツ人の英語は結構流暢であるが人による。スウェーデン人の英語は割と平板である。ものすごいスピードで話す人もいるが、英語特有の抑揚がないので心に響いてこない。Can Canなど、英語としては崩れすぎているシンガポールに語学留学するのは止めた方が良い。

ものごとはすべてそうであるが、何のためにやるのかを最初にしっかり考えてから行動しないと、ゴールの定まらないまま、無駄な投資をすることになる。英語学習もその一つである。

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(ここに記載した文章はすべて筆者のオリジナルであり、イラストは漫画家「霧」のオリジナルです。作者の事前の承諾なき無断転載を固く禁じます。)