見たいものしか見ない

今の会社に勤め始めてから6年目になる。
運河の近くに立つ高層ビルの最上階に位置し、水しぶきを上げるモーターボートやレインボーブリッジ等、休憩室(キャンティーン)から見る眺めはなかなかのものである。

先日、コーヒーを入れながらふと窓の外を見ると、5階建ての小ぶりのビルに屋上庭園が設置されているのを発見し嬉しい気分になった。「いつ頃からあるのだろう?」と心の中で問いかけてみたが答えは出てこない。毎日見ているはずなのに、気づかない。周囲の人にも聞いてみたが気づいている人はいなかった。私だけが注意不足というわけでもないらしい。

恐らく、空中庭園は数年前からあったのだろう。
心に余裕なくあくせく働いていると、そこにある物すら目に入らなくなるということかもしれない。

こんな生活を続けることが、人生にとって良いのかどうかと思う。

だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。
マタイ13:13
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キャンティーンからの風景・・・ただし、空中庭園のあるビルは映っていない)