働き方改革

毎日決まった時間に出勤するパターンから解放されて、数日しか経っていないが、精神的な拘束感がなくなったインパクトは大きい。「自由」とはこういうことかと、恐るおそる実感する日々である。

今、官民一体(?)となって「働き方改革」を進めている。関連書籍も売れているようである。だが、労働は、工場の生産労働者のように、基本的に労働投入量が生産量に直結するケースばかりではない。PCを使ってアイディアや企画を作り上げるような仕事は労働時間に比例するとは限らない。アウトプットは個人の発想力や独創性等に影響される。

判例によれば、「労働時間」に該当するか否かは、使用者の指揮命令下に置かれたものと評価できるか否かによって客観的に決まる。
つまり、労働とは、使用者の指揮命令の下にその指示に合う行動をすることである・・・つまり、常に口出しをしてくる者の存在を意識しながら行動することである。このような制約下で、「
働き方改革」を標榜すれば、効率的で創造的な作業のやり方を各人が考え出せるのかという問題がある。
 
結論的に言えば、そんなことは無理だろう。
他人(上司)の目ばかり気にしていたら、創造的なものなどできるはずがない。
働き方改革」の具体的なやり方は、会社や上司が気に入りそうな(百歩譲って、受け入られる可能性がある)ものでなければ却下されてしまうだろう。
従って考えるべきことは、「上司の気に入るものをなるべく短時間で効率的に作るための工夫」ということになるが、こんなつまらないテーマを本気で考える気になる人は少ないだろう。少なくとも私には無理である。この検討作業には、喜びや楽しみが欠けているからである。

最初に来るべき問いは、「すべてを自分で決めて良いとしたら、どのような働き方をしますか?」であろう。
(上司を含む他人の意見は聞かなくてよいから)自分にとって最も効率的で創造的な仕事をするための場所や時間やその他の条件は何かをゼロベースで考えることから始めることである。「会社」のための「自分」ではなく、「自分」のための「会社」という器に過ぎない。場合によっては、「会社員」である形が、その仕事には向いていないこともあるだろう。
フリーランスの方がよほど良い仕事ができる世界は確実にある。

自分を律することができる(=self control)人には、その方が向いているかもしれないと思うこの頃である。