外資系企業で働くー番外編その2

前回のブログの続きである。


一般に、外資系企業では人の入れ替わりが激しく、定年までの雇用慣行が定着しているところは多くないと思われる。幹部クラスの入れ替わりが激しく、社長や役員クラスが1~2年くらいで交代することもしばしばある。理由は端的に言えば、グローバル本社から見れば、日本は現地法人のひとつに過ぎず、業績目標の未達が続けば、現地幹部をクビにして業績を立て直そうとするからである。


本社と子会社の力関係の悲しさでもあり、どんなに日本マーケットの特殊性や環境を説明しても、期待した数字が出せなければ、現地幹部の稚拙な舵取りのゆえと判断され首がすげ替えられる。


加えて言語の壁があり、外国人幹部に対しても、日本人同士で議論するように言いたいことを完璧に言い切ることができる日本人ビジネスマンは極めて少ないと思われる(筆者は気性が激しいせいもあり、相手が外国人であろうが、言われっぱなしで引き下がることは絶対にしない。生意気な奴だと思われているだろうが、言いたいことは言い切っている)。


このような環境の下で働く経験は、ビジネスパーソンとして自らを成長させる上では貴重であるが、長く続けるところではないと思う。人が激しく入れ替わる中では、同僚や上司を全面的には信頼できない心理状態になりやすく、自分だけを頼りに生き抜くスタンスで日々を過ごすのは、精神的にも体力的にもきつい。日本の伝統的大企業にも違った意味の厳しさはあるが、それにしても、外資での5年の密度は日本企業での10年から20年に匹敵するのではと思う。


組織における仕事は、一人だけで行えるものではなく、上司・部下・同僚との相互信頼と協力があって初めて実現するものである。
だが、数字が達成できなければ本社の判断で幹部がクビにされるという事象を何度も見せられた従業員に、幹部を心の底から信頼することを期待するのは、虫の良い話である。自身が幹部になりたいというモチベーションも出てこない(幹部になればクビにされる確率が高まると知っているからである)。グローバル幹部が、従業員サーベイの結果に基づき、「エンゲージメントの向上策」を強調したところで、従業員は周りで実際に起こっていることを醒めた目で見ている。


日本の伝統的企業にも課題はあるが、それでも、「人間性の尊重」という精神はまだ残っていると思われ、それは、つまるところ、「(一定程度の能力と意欲があることを前提に)会社に留まりたいと思えば、働き続けることができる」という労働慣行が残っているということである。これこそが、働く側の精神的な安定と労働意欲を維持する上で、一番大切なものだと、人事屋として、また労働者としても確信するところである。


人間性の尊重」という風土がない職場環境では、特に、リーダーの人間性と人格のマイナス面が露呈する。業績下降やリストラの局面にぶつかり、自分だけが生き残ろうとするリーダーは、うまく行かない理由を部下のせいにして切り捨てる。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の通りである。だが、部下の公式な退職理由をどう繕ったところで、従業員は本当の理由を嗅ぎ分けているのである。