日本におけるキリスト教ークリスチャンとは何か?

13年前に洗礼を受け、毎日曜日にプロテスタント教会に通っている。
きっかけは、子供の日曜学校のおかげで教会と繋がりができた家内だった。誘われるままに私も通うようになり、家内が決心したときに一緒に洗礼を受けた。

さて、「クリスチャン」とは何であろうか?

それは、以下の使徒信条に示されている通り、人間の罪の代価として十字架につけられて死に、三日目によみがえり死に打ち勝った、神のひとり子、イエス・キリストを信じる者のことである。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はそのひとり子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて生ける者と死にたる者とをさばきたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。
アーメン 」

世界で最も読まれている書物と言われる「聖書」は、何を語っているのだろうか?
聖書図書刊行会から出版されている、「聖書ハンドブック(ヘンリーH.ハーレイ)」より一部を抜粋する。
 
旧約聖書は1つの民族について記している。
新約聖書は1人の人について記している。
その民族は、この世界に「その人」が来るために神が始め、育てられたのである。
 
聖書の全体は、このキリストについての美しい物語と、キリストを受け入れる者に与えられる永遠のいのちの約束によって構成されている。聖書が書かれたのは、ただ人間がキリストを信じ、理解し、知り、愛し、彼に従うようになるためである。」
日本の宗教的事情は、統計的には仏教や神道が大半を占める。自分は無宗教だと思っていても、身内の葬式になれば寺のお世話になり、初詣には神社に行ったりするから、全くの無宗教とは言えないであろう。
この中にあって、キリスト教徒は人口の1%に満たない少数派であり、なぜこんなにも少ないのかという疑問は、洗礼後十数年経った今でも頭の中にくすぶっている。
機会があれば、感じるところを書いてみたい。
 
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