新「会社人間」主義ー電産型賃金体系

戦前の身分制による賃金格差が解消されたのは、1946年の10月闘争によって成立した電産型賃金体系によってである。

「これは年齢と扶養家族数によって格付けされた生活保障給を中心として、これに労働の質・量に応じた賃金部分を加える方式であり、全体として生計費調査にもとづく最低生活費を全従業員に保障しようとしたものであった。またこの賃金体系は、賃金決定に客観的な基準を与えることによって賃金についての団体交渉の基盤を形成した。(中略)しかし、職能や個人的能力に対する一定の配慮はあったとはいえ、生活費を主な基準とするこの賃金体系は、多様な労働者階層に対して画一的な賃金をあてはめる傾向を含むものであり、(中略)一言でいえば、それは労働市場の需給関係の経済メカニズムとは一致していなかったのである。」 社会政策(2)栗田健・下山房雄・菊池光造 著 有斐閣新書
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このように生計費にシフトした賃金体系が戦後急速に普及したわけであるが、生計費を基準に考えれば、27歳で結婚して、30歳で第一子が生まれ、48歳で大学入学などというような標準的なケースを念頭に置いて賃金カーブを設計するわけで、本人の能力の伸長とは必ずしも連動しない形で、賃金は生計費のピークを過ぎるまで上がっていくことになる。日本の年功賃金制の原型はここにあると言ってよい。

この体系は賃金水準が相対的に低かった戦後の一定期間には、生活の保障の点では大きな成果を発揮したはずであり、労働意欲の向上にも多大なる貢献をしたものと考えられる。問題は、戦後50年経ち、世界第二位の経済大国になったのに、まだこの体系がホワイトカラーまで含めて広範に残っていることである。
(新「会社人間」主義ー私の考える「ホワイトカラー」 1999年1月 より)

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