新「会社人間」主義ー年功賃金制



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資料出所:賃金・労務通信’97臨時増刊11月20日号のデータをグラフ化(縦軸は千円)

年功賃金制度は、長期にわたって従業員を激しい企業内部での競争に駆り立てる上で、大きな効果を上げてきた。
大企業のモデル年収で見れば、大卒初年度の年収300万円が50才代半ばのピーク時には1300万円を超えることとなり、新入社員の4倍以上にもなる。長く勤めれればこのように報酬が増えるという仕組みであれば、(一攫千金を狙うような人間でなければ)労働意欲は大いに刺激されるはずである。この制度の骨格は以下の通りである。

a.新規学卒者を中心とする内部登用により、職務やポストの割付を行う。経営幹部も同様である。内部競争での覇者が社長になる(オーナー企業は別として)。

b.年次管理:毎年一定レベルの採用が確保されているという前提で1年毎に順送りの処遇、人事を行うこと。大企業では従業員全てを納得させる評価基準を、学歴や卒年に一切関係ない形で従業員に提示するのは現実には難しいので、交通整理の手段・基準としての年次管理が必要となる。この仕組みのもとでは、若い年次のトップ評価の者が1年上のトップの者を追い越すことは、原則としてない。少なくとも課長や部長の任用まではほとんどない。役員就任の頃になると、かなりこの原則は薄れてくるが、それでもまだ残っている会社が多いと思われる。逆に、トップ以外ではこの入れ替えはかなり激しく行われている。

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c.賃金・賞与は毎年の評価によって徐々に差がついていく(微差管理)
同期入社の者でも、入社して⒛年くらい経つとかなりの差になってくる。逆に言えば、入社して数年間はあまり差がない。入社後数年間はモラトリアムとして、査定自体をしない会社もある。しかも、個々の評価結果については、本人にフィードバックすることはあまりない。長い間、勝者と敗者をあいまいにしたまま競争させるマラソンレースのようなものだ(評価は、数年に一度訪れる資格や職位の昇進公表を通じて確認することになる)。

d.定年制
昨今では60歳は当たり前で、厚生年金の満額支給開始年齢の繰り上げ論議とともに65までの延長が議論されるようになってきた。因みに、米国では年齢差別禁止法により、40歳以降の者について年齢を理由として、採用・解雇・昇進や賃金・年金等の労働条件に関して差別的取り扱いをしてはいけないことになっているので、定年制を実施することはできない。
日本の定年制には、二つの側面がある。一つは、特別な事由が発生しなければ、そこまでは雇用が保障されるということ。これは労働者にとっては、福音である。
もう一つは、理由の如何を問わず、60歳になったら辞めてもらう。強制解雇である。日本の年功賃金制は、定年制とセットで初めて経済合理性を持つことになる。右肩上がりの賃金体系を無制限に続けるわけにはいかない。60歳という定年をゴールとして、報酬とパフォーマンスの総量が均衡するように処遇体系を構築しているのである。
また、定年制には総額人件費の増加をある程度抑制する効果がある。
一人が定年になり、一人の新規学卒者が入れば、会社の総人員は変わらなくても、給与水準の差の分だけ総額人件費は減ることになる。

e.内部労働市場
年功処遇制度は、基本的に内部労働市場を前提に設計されており、内部の従業員同士の納得性を高めることが第一に考慮されている。
例えば、ある会社では毎年100人の大学卒新入社員を採用しているとしよう。この場合、毎年の100人のレベルは集団としてはほぼ同じレベルだと仮定するのである。従って、同期の中での選別を行っていけば、将来、会社の幹部になりうる人材を安定的に確保・供給することができるというわけだ。これをもっとも極端な形で墨守しているのは、大蔵省・通産省などの高級官僚の人事であろう。同期の中で局長や次官が出ると、なれなかった者は「勇退」という形で天下りをしていく。次官の年次が急に若返るというのは稀なようである。しかし、高級官僚の場合、何と言っても就職先としていまだに人気はあるし、毎年ほぼ同じレベルの優秀な人材を確保しているとも言えるので、この順送り方式にはそれなりの合理性がある。
民間でも歴史と伝統のある大企業ほど強くこの傾向を残していると思われるが、実際には、激しい採用競争の結果入社してくる新入社員のレベルが毎年同じということはありえない。不作の年も豊作の年もある。それが市場原理であり、採用戦線は市場原理で動いている世界である。
(新「会社人間」主義ー私の考える「ホワイトカラー」 1999年1月 より)

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