英語力上達のもうひとつのカギは、「かっこうよく話そう」と思わないこと

英語を介して外国人と仕事でコミュニケーションを取るようになってから20年以上経った。最初の頃は英語ネイティブの人と同じような発音で流ちょうに話せることを目標にしていたように思うが、今は、違う。

どのように話すかよりも、何を話すかということの方が重要だと気づいたからであるが、「ネイティブと同じような発音で流ちょうに」話すことはほぼ無理と悟ったからでもある(より正確に言えば、流ちょうに話すためにかける労力に見合う見返りがそれほど期待できないからである)。学校の授業で習ったように、LとRの発音の違いなどに気を使いすぎていると、肝心の話すべき内容に集中できなくなり、言いたいことを言いきれなくなるリスクが高まるが、ビジネスの世界でこれは致命傷になる。

会議とは、異なる意見を出し合い結論に向けてしのぎを削る闘いの場でもあるから、どのタイミングで、どんな内容を、どのような迫力で出すかに意識を集中する必要がある。英語のアクセントには留意しないと聞きとってもらえない可能性はあるが、発音はそれほど正確でなくても "Pardon?" と聞き返されることはほとんどない。

アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンポーランド、トルコ、インド、オーストラリア、中国、東南アジア諸国、中近東諸国他、様々の国の人の英語を聞いたが、英米人と同じような(と言っても英語と米語は違うのだが)発音で流ちょうに話す人は極めて少ない(1割~2割程度というのが筆者の経験から導いた結論である)。これでも英語かと思われるほど癖のある発音でも、自信満々で話す人も多い点はむしろ見習うべきであろう(例えば、フランス人の英語には必ずと言ってよいほどフランス語なまりの発音とアクセントが入ってくる)。

繰り返しになるが、「ネイティブと同じようにかっこうよく話す」という呪縛から解放され、母国語の影響を受けた癖のある発音でもとにかくどんどん話すという積極性を身に着ける方が重要だと思う。英語は既に、グローバルコミュニケーションのツール(*International English、国際英語)になっており、イギリス人やアメリカ人の話す英語が模範というわけではないと割り切って良いのではないか。

* International English, 国際英語: 英米の英語を規範とするのではなく、「世界の非英語話者による国際コミュニケーションのための新英語を確立」し、国際理解、国際協調、国際共生を図っていこうとする考え方をさす。