定年後の心象風景(その2)

前回のブログの続きである。

 

定年後の世界に怯えるのは、「男は仕事、女は家庭」という古風な考え方をする日本男児に多いのかもしれないが、そもそも、家族や身近な共同体を離れて、縁もゆかりもない人達と「会社」という組織で(無理やり)働かされる形態は、産業革命以後200年の歴史しかない。それまで大多数の人間は、家族を基本組織とし、助け合いながら、農業や家内工業などに従事していたものと思われる。

労働を提供することで賃金を得る契約により、「会社」という組織に何十年もの時間と自由を奪われた後、ようやく「家族」のもとに帰還できたと思ったら、家庭に「お父さん」の居場所はなくなっており、「粗大ごみ」同様に扱われる。残業して帰宅すると、テレビの前に寝ころびながら缶ビールを飲み、奥さんがせっせと働いているのを横目に、皿洗いなど最低限の家事すらしない、というようなことはないだろうか。「家族」という共同体の中で目に見える形で応分の役割を果たしてこなければ、「粗大ごみ」扱いされるのは当然のツケであろう・・・「会社」でいくら苦労しているとしても、家族には見えない世界の出来事だからである。


だから、定年になる前に、せめて家事くらいは覚えておき、「仕事」以外の形で家族の共同生活に参画できるようにしておかなければならない。あるいは、自分なりの趣味を持ち、残された時間をエンジョイできるようにもしておいたほうが良いだろう。「定年後」を冠したノウハウ本の骨子はつまるところ、このようなものではないかと推測している。

筆者は随分前から、週末に家族と時間を過ごしていると、こちらの方が自分の本拠地ではないかと感じていた。持ち家をした直後に転勤になってから15年間単身赴任を続けたが、週明けの月曜日、音を立てずに一人だけの朝食を済ませ、家内と子供達の寝顔に別れを告げ、「これからまた、会社という異世界に出稼ぎに行ってくる」という気持ちで日々を送るうちに50代半ばとなり、その後の転職先で「定年」を迎えてしまった。

だが、帰還するにはまだ早い・・・次の「仕事」を探さねばならない。
筆者の場合は、自営業(開業社会保険労務士)の形で再スタートを切ることになった。 自宅兼用の事務所で、いつも家族の近くにいることになり安心感はある。だが、時間も仕事も自分のペースで決められる自由を満喫できる反面、安定的収入はない。自己責任で事業を運営しなければならない。 同じ場所にいても、サラリーマンをしていた頃の心象風景とは全く異なる厳しい世界であるが、自分で選んだがゆえに不満はないし、何とかなると信じてもいる。 心身の健康が続く限り、無理しない程度に頑張っていきたいと願うこの頃である。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げー それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 エレミヤ書29:11