新「会社人間」主義ー上司と部下

部下に命令すれば、何でも言うことを聞くと思うのは大きな勘違いである。「情」の部分に配慮をしなくても、ロボットのように部下を使いこなせると思う管理職は、はっきり言って失格である。部下にも人格があり、何が本物かを判断する力もある。自分にはないもの、この人についていけば大丈夫と思わせる力を上司に発見して初めて、心底ついていくのである。

不幸にして、そうではない上司に巡り合ったら、これも試練と思ってやり過ごすことである。もちろん、あからさまな敵対行為はできないが、早く別の上司と交代してくれと念じながら、黙々と日々の業務をこなしていくことである(もっとも、駄目な上司を支える為に必死に努力していく過程で、自分が成長することもあるので悪い面ばかりではないが・・・)。

思うに、元来人間には二つの一見すると矛盾する願望が混在しているようである。一つは、「誰にも支配されたくない、自由でいたい」という願望であり、もう一つは、「素晴らしいリーダーや指導者についていきたい」という願望である。
 サラリーマンにも、この二つの願望は内在しているはずである。これと仕事をこなす能力という軸を組み合わせると、図に示す4つのタイプに分かれる。
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能力が高く、人を引っ張っていく意志と能力のある真のリーダーになら多くの部下は喜んでついていくだろう。しかし、能力はあっても人の上に立つことに興味がないかセンスがない者(能吏型と呼ぶことにする)の下につくと肝心な時に決断のできない上司と心中することになり、部下は困ってしまう。また、能力もないのに支配願望ばかりが強い人(暴君型と呼ぶ)の下についたら、理不尽な命令に服従するばかりで仕事の成果はさっぱりあがらないという悲惨な事態を招くことになる。こんな上司ならいない方が組織の効率はよほど上がるだろう。
 年功型の人事を続けていると、このような管理不適格者でも管理職に登用されてしまうことがあるので要注意である。
(新「会社人間」主義ー私の考える「ホワイトカラー」- 1999年1月 より)

今も、上記エッセイの骨子は通用すると思うが、中堅外資系の場合は、駄目な上司に部下が我慢してやり過ごすよりも、転職してしまうケースの方が多いので、人材確保と育成の点ではこれもまた問題である。


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